子どもの頃から、アイドルの見分けがつきませんでした。
子どもの頃から、アイドルの見分けがつかないタイプでした。大人になってからは、子どもの幼稚園で保護者と子どもの顔がごちゃごちゃになったり、接客の仕事では2回目、3回目に来てくれた常連さんでも顔と名前が結びつかなくて、その場をやり過ごしたり。そういうことが、ずっと続いてきました。
病院には一度だけ行きました。簡易的な検査でしたが、「自分がボケているのではなく、そういう傾向がある」とわかるのは、安心材料になると思います。ただ、原因がわかるわけでも、特効薬があるわけでもない。骨折や内臓の病気なら通わないと大変ですが、これは通わなくても死なないから、と後回しにしたまま生きています。
友人や家族に話したこともありますが、「あるある」と流されておしまい。道で向こうは気づいているのにこちらが気づけず、あとから言われても「えー、ひどーい」くらいで受け流されて終わり。同じ体験を共有できる人は、周りにはあまりいませんでした。
顔が「系統」のなかで、溶け合ってしまう。
顔の覚えられなさは、相手によって程度が違います。会ったときに会話が思い浮かぶ人は、何かしらの関連事項が脳に残っているので思い出せる。でも、会話が思いつかない人のことは、もう何も思い出せません。
見え方は「ぼんやり」という感じです。見たことがあるけど、見たことがないかもしれない。マスクやメイク、髪型が変わると急にわからなくなって、相手は私だとわかって話しかけてくれているのに、こちらは「誰だっけ」の途中で「あ、この人だったかもしれない」となることもあります。
よほど特徴的な人なら覚えられるし、漫画のキャラクターならわかるんです。でも人間の顔は、「ギャル系」「真面目系」みたいなカテゴリーに入ると、その系統同士で溶け合ってしまう。韓国アイドルのグループも、「黒髪で肌が白くて髪が短いグループ」くらいの解像度になってしまいます。ケーキで言えば、盛り付けはいろいろ違うはずなのに「ショートケーキだよね」で終わってしまう感じ。一人ひとりの人間の顔として覚えられる人と、「ショートケーキ」になってしまう人がいるんです。
接客でいちばん困るのは、常連さんの「いつもの」。
飲食店で働いていた頃、常連さんとは何度も話していて、名前を聞いたこともあるはずなのに、覚えていられませんでした。毎日来るわけでも、毎日同じ服で来るわけでもないから。「いつもの」と言われたとき、「いつものって何ですか」とは聞けません。覚えていないことをいかに悟られずに、常連さんとして扱えるか。神経衰弱みたいな接客をしていました。
受付の仕事は大丈夫でした。「いつもの編集の者です」と、相手が毎回名乗ってくれるから。困るのは、「常連の自分を覚えていて当然」というスタンスで来られる場合です。推しのアイドルについて毎回熱く語ってくれる方がいたのですが、こちらはその推しの顔と名前がひとつも結びつかない。わからないことが、毎回失礼に当たってしまう。「この顔は覚えられていて当然」という相手の常識の前では、本当にキツかったです。
だから本音を言えば、毎回自己紹介してほしいんです。「私はこういう者です」と言ってもらえたら、やり過ごさずに、ちゃんと向き合えるのにと思います。
お迎えの保護者の輪が、恐怖対象でした。
子どもの園では、保護者と子どもを結びつけて対応しなければいけない場面があります。「この人はあの子の親っぽいけど、名前が出てこない」。周りのお母さんたちは「この子は〇〇ちゃんだよ」「このママはあの子の親だよ」とパッと出てくるのに、自分は一向に覚えられない。みんなが把握している前提で会話が進んでいくなかで、私は終始「誰だろう」と思っていました。
だから、お迎えのときに溜まっている保護者の集団が、恐怖対象でした。顔と名前を覚えるのが得意な人たちは、先生の情報まで詳しく共有し合っている。そこに覚えられない自分が混ざると失礼になってしまうから、近づかないほうがいい、と。
学生の頃も、「これ、あの人に渡しておいて」とあまり絡みのない人に頼まれると、勘で渡していました。外れても、だいたいその人の友達だったりするので、なんとか回してもらえてセーフ、みたいな。
スマホのメモが、私の攻略本でした。
覚えるための工夫は、スマホのメモです。手帳は家に置いてあると外で見られないけれど、スマホなら相手に画面が見えないので、何かを見るふりをして、こっそりカンニングできるから。
「髪が長くて、だいたいワンピースを着ている。走るのが速い男の子のママ。〇組の〇〇くん」「髪は肩くらい。スポーツサンダルをよく履いていて、弟を連れてお迎えに来る。子どもは三つ編みで、プリキュアが大好き」。そんなふうに、髪型、服装、子どもの組と名前、うちの子との関わりまでセットで記録していました。卒園したので、もう消しましたけど。
誕生日も覚えられません。高校からの親友の誕生日でも毎年思い出せなくて、LINEの検索で過去の発言を探したり、日にちが過ぎたあたりで「忙しくて送れなかったけど、おめでとう」とやり過ごしたり。30年生きてきて何度も聞いているはずの、おじやおばの誕生日も把握できていません。自分の誕生月に近い人は覚えられるのに、身近にいない月の人は、どうしても覚えられないんです。
小さい頃に、自分で気づける機会があれば。
子どもの頃からこういう傾向があっても、「そういうことあるよね」で流されてしまいます。だから、小さいうちに自分で気づける機会をつくれたらいいなと思います。気づいても、その先を知らないと何もわからないまま。周りがきっかけを出さないと、「そういうものがある」という選択肢を持てないまま、大人になってしまうから。
吃音のように、子ども向けに段階を踏んで取り組めるものが増えたら、大人になって詰むことが減ると思うんです。親も子どもも知らない症状だと、お互いに見当もつかなくて、選択肢がないまま機会損失が起こってしまう。そうならないように、小さい頃に自分で選んでいけるような仕組みが必要だと思います。
この経験談について
個人の体験にもとづくお話であり、医学的な情報や診断を提供するものではありません。プライバシー保護のため、仮名でご紹介しています。